梅雨が明けて、真夏の空を見上げると、30年以上前のあの夜空の光景が今でも、映画のワンシーンのように鮮やかに蘇ってきます。
それは、大学の時に学外体育で千葉県の小湊で数泊したときのことです。
仲良くなった友人と3人で、夜、ベランダに布団を出して、夜空を見ながら会話をしていました。
すると、なんと、空飛ぶ円盤が米粒大でしたが頭上に数機現れて、不思議な動きをするのがはっきりと確認できました。
3人で大騒ぎして、皆にも教えよう、と言っている間に、すっと、視界から消えてしまいました。
時間にして、数秒だったからもしれませんが、3人とも間違いなく空飛ぶ円盤を見ました。
その後、この出来事を話すと、人それぞれいろいろな反応がありました。
よく、テレビなどで、宇宙人の存在とか空飛ぶ円盤の存在について、議論を闘わせていますが、私は、こういう議論を見ていると、いつも、不思議な思いで見ています。
私は、宇宙人の存在や空飛ぶ円盤の存在の肯定派なのですが、それは、簡単な話で、私も友人もこの目で確かに見た、という事実があるからです。
自分の中では、その事実で、宇宙人や空飛ぶ円盤が存在する、という証明に十分だと思っています。
それに対して、宇宙人や空飛ぶ円盤の存在を否定する人たちは、存在しないことの証明は、いくらやっても、できるはずはないのに、なぜ、ない、と断言できるのか、ということが不思議でならないのです。
最近、仕事などでも、このようなことが多くて、何かのプロジェクトを提案すると、一刀両断で「できない」と否定してくる人がいます。
そして、できない理由を、これでもか、これでもか、と見つけてきては、攻撃的に否定してきます。
私は、そんな現場に立ち会うと、できない理由を見つけるエネルギーを、なぜ、できる理由を見つける方向に使わないのかな、と不思議に思えてしまいます。
こんなときに、いつも思い浮かぶのが、宇宙人や空飛ぶ円盤の存在と不存在の議論なんです。
反対している人に納得してもらうためには、肯定事例を1つだけ見つけるだけでいいのですが、実際は、これもなかなか難しいですよね。
というわけで、現在、あるプロジェクトでは、反対している人に゛なるほど、と納得してもらえるような成功事例を見つけている途中です。
ちなみに、千葉の小湊での空飛ぶ円盤の遭遇は、本当にラッキーでした。
別に、誰に否定されようとも、あのときの感動は、誰にも奪えないですからね。
この夏、同じようなラッキーチャンスに恵まれる人がたくさん現れるといいなぁ、と思っています。